道後温泉に行ったので、その流れで、愛媛県にある2つの100名城を訪ねてきました。
とはいえ、道後温泉メインで来ているので、湯築城にいく前に、重要文化財に指定されている道後温泉本館で、まずは温泉を楽しみました。
ちなみに朝風呂したのは理由がありまして。昨日(金曜日)は、夕方時点で整理券の配布が終了してしまっていて、入れなかったんです。なので、今日は6時起きして整理券をもらっておきました。ちなみに、今は修復工事中で、霊の湯というこじんまりしたお風呂しか入れませんでした。
さて、さっぱりした後は、その近くにある道後公園へ。なぜ、公園に行ったかというと、実はココが湯築城跡なんです。ガイドブックにも道後公園としか書いてなかったので、旅行1週間前くらいに気づかなかったら、完全にスルーして松山城に向かっていました、たぶん。
ちなみに、湯築城跡ですが、戦後は、動物園が作られていたそうで、動物園が砥部に移転した後の発掘調査を経て、湯築城跡として整備されたそうです。
ボランティアの方の話によると、江戸時代は竹林で手つかずだったこともあり、当時の縄張遺構がすべてキレイに残っている珍しい城跡なんだとか。
ちなみに、こちらは道後公園駅側の入り口なんですが、復元地域がこちら側な事もあって、より城っぽい感じがすると思います。
とはいえ、湯築城は中世の城なので、石垣や天守はなく、地形を利用した平山城なので、イメージと違うかもしれませんが。
上の画像真ん中の土塁の途切れているところが搦手門(裏門)で、そこをぬけて右手に湯築城資料館があります。ここに100名城スタンプがありました。また、御城印も売っていました。
資料館は、発掘調査で見つかった陶器、土器の展示がメインですが、ボランティアガイドの方にめちゃくちゃ詳しく色々伺うことができました。陶器は輸入品で、何故、輸入できていたかというと村上海賊がいたからだ、とか、家紋の話とか河野氏一族の一遍上人の話まで、いろいろと興味深い話を伺うことができました。
資料館の先が復元区域になっていて、当時の武家屋敷や土塀、排水溝、池などが復元展示されています。この復元遺構により当時の形が分かるようになっており、当時の生活をイメージすることができます。
また、湯築城は二重の堀と土塁がしっかりと残っていて、こんな感じで、生活区域が土塁の間にあったことも見てとれます。
そして、なんと土塁の実際の断面が展示してあり、土層を見ることもできちゃうんです。
ボランティアの方の話によると、当時は湯築城を中心として伊予の各地に支城が存在していたのですが、そのやりとりは、丘の上の展望台から狼煙をあげることで連絡を取りあっていたんだとか。
ちなみに、その展望台からは、道後温泉から松山市の中心部まで一望できて、天気も良かったので、めちゃくちゃ気持ちよかったです。
展望台から降りていくと、杉の檀があります。公園として整備されているので、当時の遺構はありませんが、堀切なども見つかっており、当時は、上手く丘の地形を利用していたことがわかります。
ちなみに蛇足ですが、道後公園には、道後温泉の源泉があります。当時は、城の中にも温泉があったのかもしれませんね。
長くなったので、この後に寄った松山城については、次の記事にします。
日本100名城 公式スタンプ帳はこちらから。
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