日本三大山城の1つ、高取城に行ってきました。最寄りの壷阪山駅からバスで裏手の登山口まで行けるのですが、今回は、城下町から高取城へ至る道を通って行きたかったので、1駅前の飛鳥駅でレンタサイクル(電動)を借りて向かうことにしました。
国道を壷阪前駅方面に走っていくと、土佐街道への分岐があります。こちらの土佐街道は、高取藩時代のメインストリートで、当時の面影が残っている建物がたくさんありました。100名城スタンプは、土佐街道にある夢創館で押すことができます。
土佐街道には、復元された松ノ門があります。廃城の時に取り壊されていますが、平成になり、解体した材料を使い、この場に復元されたものとのことでした。
土佐街道を抜けても、しばらく舗装された登山道が続いているので、そのギリギリのところまで自転車で行きました。ただ、電動自転車でも降りて登ったくらい急なところがあるので、自転車は途中の上子島防砂公園に置いて、徒歩で登ったほうが楽かもしれません。
宗泉寺の手前から本格的な登山道になるので、この辺りに自転車を置いて、山登り開始です。
この登山道ですが、旧大手道として使われていたもので、当時はもう少し道が広かったらしいです。お城に行くのにこんな山道を毎回登り降りしていたなんて、当時の人は大変だったと思います。
途中、当時の面影を残している登山道もありますが、比較的、整備されていて登りやすい登山道でした。
高取城の入り口、二の門跡です。この辺りから城郭の遺構が見られます。
二の門脇には、山の上なのに水堀がありました。堀というよりは池という感じですが、高取川の源流でもあるんだそうです。
登山道脇には山の上にもかかわらず、壮大な石垣郡が続いています。当時は、この石垣の上に武家屋敷が建っていたそうです。
途中、登山道から逸れて、国見櫓跡に行ってみました。当時はここに景色を楽しむための櫓が建っていたそうです。今は展望台になっていて、当時と同じく景色を眺めることができました。
こちらが展望台からの景色。奈良盆地を一望できて、本丸からよりもここからが一番キレイな景色を見ることができました。
矢場門跡。門によって保存状況は違いますが、城の遺構に囲まれながら山登りができる、というのも山城の醍醐味かもしれません。
こちらが松ノ門跡。土佐街道にあった松ノ門は、当時はここにあったそうです。門の大きさを考えれば、当時よりも登山道が狭くなっていることが想像出来ます。
千早門跡を通れば三ノ丸です。三ノ丸で、壷阪寺からの登山ルートと合流しているので、人が増え始めました。
大手門跡あたりから紅葉した木が増え始め、紅葉シーズンだったことを思い出しました。
十三間多門跡を通れば、二ノ丸です。
二ノ丸はひらけていて、ベンチやトイレもあり、休憩するにはちょうど良かったです。この辺りからはひらけてきて、日当たりも良くなってきました。
天守台の手前には真っ赤なカエデがあり、天守台と紅葉の写真を撮ることができました。天守台前には、樹齢700年の御神木が立っており、当時は、この御神木よりも少し高いくらいの三層天守が建っていたそうです。
近くで見ると、天守台と本丸の石垣の壮大さがよく分かります。豊臣秀長配下の本多利久時代に改修されたそうで、豊臣家が権勢を奮っていた時期だったので、これだけの石垣を山の上に作れたのかもしれませんね。
本丸の入り口には、木彫りの熊と木彫りの高取城がありました。
こちらは本丸。陽当たりも良く、頂上ということもあり、こちらで食事をとっている人も多くいました。
本丸の端から石垣を見下ろしてみると、改めて、その壮大さを感じることができました。
こちらは天守台。高取山の三角点はこちらにありました。ほんの130年くらい前にはここに天守閣が建っていたことを思うと、山城ゆえの劣化の激しさも感じました。
時間はかかりますが、当時の人と同じ大手道から高取城に至る登山道を登っていって正解でした。私は、登山もしますが、城の遺構に囲まれながら山を登っていくのは、登山の大変さを忘れてしまうくらい楽しかったです。
皆さんも、ぜひ、土佐街道経由で攻城してみてください。
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