今回の旅では、南部氏の居城だった盛岡城を訪れました。さくら名所100選に選ばれるほど桜が美しい場所なのだそうですが、混雑が苦手なため、桜の時期を外して訪れることにしました。
盛岡駅から盛岡城へ向かう途中、城に近づくと、昭和の雰囲気を色濃く残した街並みが広がっていました。この写真では一見すると分かりにくいですが、歩道の下にある亀ヶ池は、かつて盛岡城の堀だった場所です。

盛岡城に着いて、まず目につくのが、櫻山神社脇にある大きな岩です。この岩は、築城時に三ノ丸で見つかって以来、烏帽子に形が似ているということで、烏帽子岩と呼ばれ、吉兆のシンボルとして崇拝されてきたパワースポットなんだそうです。

こちらは瓦門跡です。2ヶ月前までは通行止めになっていたそうですが、石垣の修復が無事に完了し、現在では通行可能となっています。この瓦門跡を通り、城内へと足を踏み入れました。

瓦門跡を通ったら三ノ丸です。盛岡城周辺には石垣の材料である花崗岩が豊富に分布していたため、総石垣の城郭を築けたんだそうです。この三ノ丸でも、地面から顔を出している大きな石をいくつか見ることができました。

また、この三ノ丸からは本丸方面を一望することができました。こうやって見てみると、二ノ丸と本丸が縦に並ぶ連郭式城郭の全体像をしっかりと目にすることができます。

三ノ丸から二ノ丸へは、車門跡を通って進んでいきます。

こちらが二ノ丸です。当時は中ノ丸御殿があり、盛岡藩の公的な行事などが行われていたそうです。

また、二ノ丸からは、雪化粧がまだしっかりと残る雄大な岩手山を眺めることができました。

盛岡城は、二ノ丸と本丸が橋で繋がっているという珍しい構造を持っています。このような構造を持つ城郭は、日本では盛岡城と高知城の2つだけだそうです。こちらの赤い橋が二ノ丸と本丸を結ぶ渡雲橋ですが、この日は工事中のため、橋を渡ることはできませんでした。

橋は通れませんでしたが、二ノ丸から本丸脇を回り込み、裏手から本丸へと登ることができました。中央にある台座にはかつて銅像が立っていたそうですが、戦時中に軍需資材として供出され、その後は何も建てられることなく現在に至っているとのことです。台座だけが100年以上も残されているという不思議な状況ですが、何か意味が込められているのかもしれません。

本丸の一角には天守台があります。盛岡城の天守は、もともと三階櫓として建てられていましたが、築城から約200年後に「天守」と呼ばれるようになったそうです。

さて、盛岡城は、石垣の美しさが高く評価され、100名城に選定されています。その魅力を肌で感じるために、城郭のまわりをぐるりと一周してみることにしました。
こちらは江戸時代初期に築かれた石垣で、打込接という工法で積まれています。石を粗く加工し隙間なく組み合わせているのがわかります。

こちらは、江戸時代中期に築かれた石垣です。切込接という工法で積まれており、石と石がぴったりと組み合わさって積まれているのがわかります。

榊山稲荷曲輪の角では、算木積による石垣を見ることができます。算木積は、石垣の角を整然と積み上げる技術で、長方形の石の長い辺と短い辺を交互に積んでいるのがわかります。

この辺りに見られるのは、築城当初に築かれた石垣で、野面積という工法で積まれています。自然の形を活かした石をそのまま積み上げているのがわかります。

こちらの石垣は、昭和・平成の大修理によって修復されたものです。太陽の光が良い具合に当たっていて、見事な景色を楽しむことができました。

ここは桜が咲いたらきっと素晴らしい景色になるだろうと思わせる場所でした。

こちらの二ノ丸の脇に見られる石垣は、「はばき石垣」と呼ばれる工法で積まれています。この技法は、石垣の崩壊を防ぐことを目的としているそうです。

盛岡城は100年もの歳月をかけて築城・改修が行われた経緯があり、そのため様々な石垣の積み方を目にすることができます。事前に石垣の工法について勉強してから訪れると、より一層楽しめると思います。皆さんも、ぜひ時代ごとの工法の違いを見比べて、石垣の魅力を堪能してみてください!